閲読中国史 | 中文系.com

閲読中国史

閲読中国史

奸雄の謎 4(品三国/閲読中国史)

曹操の不良仲間である袁紹や張邈らも、同じようなものだった。彼らはよく一緒になってバカ騒ぎをしたり、普通では考えられないようなことをしていた。南朝宋の臨川王である劉義慶が書いた『世説新語』にはこのような逸話がある。 ある家で結婚式が行われる...
閲読中国史

奸雄の謎 3(品三国/閲読中国史)

曹操が家庭で受けた教育はあまり良いものではなく、曹嵩が息子の教育について気にかけることもほとんどなかっただろう。曹操の詩に「既無三徙教,不聞過庭語」(孟母三遷の教えすらなく、過庭之訓は聞いたこともない)という話がある。「三徙」とは、孟子の母...
閲読中国史

奸雄の謎 2(品三国/閲読中国史)

曹操は子どもの頃から狡猾であった。この人物は、生まれが悪く、親の教育が悪く、幼少期の素行は悪かった。曹操、あざなは孟徳、幼名を阿瞞または吉利といった。沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の出身である。陳寿の『三国志』には前漢の相国(廷臣の最高職)...
閲読中国史

奸雄の謎 1(品三国/閲読中国史)

第二章 奸雄の謎 歴史上最も複雑な性格で、多様なイメージを持った人物として、曹操は自分に忠実で、偽りがなかった。この気質が彼を英雄、それも大英雄にならしめた。しかし、この大英雄は同時に大奸雄とも見られている。前章では、「愛すべき奸雄...
閲読中国史

曹操の真の姿 13(品三国/閲読中国史)

曹操のこの行為は、非常に悪い影響を招いた。反乱を引き起こし、後代まで語り継がれることとなった。陳宮にしても、辺譲の死をきっかけとして曹操と袂を分かち、呂布のもとに走ったのである。曹操はこのことを教訓とし、加えて官位が高くなり、野心も大きくな...
閲読中国史

曹操の真の姿 12(品三国/閲読中国史)

自分を裏切った友人に対してさえ、曹操は過去の友情を重んじた。一時期、陳宮と曹操とは極めて深い関係にあった。曹操が兗州牧(兗州の長官)に任命されたのは陳宮の功績である。その後、陳宮は呂布を徹底して助け、曹操と戦った。そして捕らえられたが、断固...
閲読中国史

曹操の真の姿 11(品三国/閲読中国史)

許攸は曹操の恩人だったが殺され、一方で曹操を「悪辣に攻撃した」一部の者は解放された。官渡の戦いで、袁紹に仕えていた陳琳は、袁紹のために起草した檄文の中で曹操を散々に罵倒した。この檄文は、『袁紹伝』裴松之の注で読むことができるので、一読をお勧...
閲読中国史

曹操の真の姿 10(品三国/閲読中国史)

しかし、曹操は氷のように態度を豹変させることもある。例えば許攸は自らを死に追いやったようなものである。彼は過去の功をいつまでも頼みとし、曹操に対しあまり敬意を払わなかった。彼は衆人環視の中よく曹操に冗談を言い、あまつさえ曹操を幼名で呼び、「...
閲読中国史

曹操の真の姿 9(品三国/閲読中国史)

曹操は家族への情に厚い男だった。しかし曹操は生涯を戦に明け暮れ、家族と楽しむ時間をほとんど持たなかった。『三国志・后妃伝』裴松之の注で引用された『魏略』によると、曹操は死ぬ前にこのようなことを語っていたという。「人生に悔いはない。誰かに申し...
閲読中国史

曹操の真の姿 8(品三国/閲読中国史)

蘇東坡は私の最も好きな文学者であるが、このご高説には安易に賛同できない。曹操は病死したのであって、処刑場で斬首されたのではない。どうして「危機に際して恐れない」ことができよう?曹操は無様に泣き叫んで死を拒んだわけでもない。どうして英雄的では...