【中国雑学】広東省及び広西チワン族自治区の「広」は、どこを指している? | 中文系.com

【中国雑学】広東省及び広西チワン族自治区の「広」は、どこを指している?

広東省及び広西チワン族自治区の「広」は、どこを指している?

 

答え:地理的には桂江・賀江が西江と合流する場所を指し、語源は当地の施政に関する漢の武帝の勅命に由来する。

広東や広西という概念がまだ存在しなかった頃、秦は百越征服を経て桂林、南海、象郡の3つの郡を設立した。秦の末期、軍事長官である趙佗は嶺南地方に南越国を建国し、中央政府と争うようになった。

前漢の天下統一後、南越国が滅ぼされ、嶺南地方が再び朝廷の支配下に入ることになったのは漢の武帝の時代になってからである。紀元前111年(元鼎6年)に嶺南地方を統一した際、漢の武帝は「初開粤地,宜布恩(これから粤の地を開くに当たり、恩情・信義を広めることが望ましい)との勅令を出した。閣僚たちはここから「広信」の二字を取り、この地を命名した。広西チワン族自治区の梧州と広東省の肇慶の間の広大な地域が、こうして広信と呼ばれるようになった。当時、嶺南九郡を統括していた「交趾郡」の首都がここに置かれた。ここはまた桂江と賀江が西江と合流する場所でもあった。

その後、宋の時代に正式に2つの川の合流点を境界とし、広信の東側を広南東路(「路」は宋の時代の行政単位)、広信の西側を広南西路とした。これが広東と広西の由来である。

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