曹操の真の姿 8(品三国/閲読中国史) | 中文系.com

曹操の真の姿 8(品三国/閲読中国史)

蘇東坡は私の最も好きな文学者であるが、このご高説には安易に賛同できない。曹操は病死したのであって、処刑場で斬首されたのではない。どうして「危機に際して恐れない」ことができよう?曹操は無様に泣き叫んで死を拒んだわけでもない。どうして英雄的ではないと言えよう?昔から「慷慨赴死易,従容就義難」(慷慨死に赴くは易し、従容として義に就くは難し)と言うではないか。曹操は、義のために死んだ訳ではないが、潔く死んだ。くどいとさえ言えるこのような死後の手配まで行えるのは、潔さの表れである。そう、多くの英雄が死ぬ前に述べる世の不正への嘆きや怒り、勇壮な言葉に比べて、曹操のこの『遺令』はまったく英雄的ではなく、まったく劇的ではない。庶民と何も変わらないのである。しかし私はこれこそ曹操の真の姿だと考える。そもそも彼は神ではなく、一人の人間である。そもそも彼は普通の人であり、孤高の「聖人」ではない(そうなりたいとも思わない)。その上、彼の地位にあってなお自分の「凡人」の一面を率直にさらけ出してのけ、隠したり、取り繕ったりしないことが、まさに曹操の優れた点であり、英雄の本来の面目であろう。曹操の「私は俗物だが、お前に何ができるのか? 私は好きなことを言い、好きなことをするが、お前たちはどうだ?」という声が聞こえるようだ。従って、曹操の『遺令』は、政治的な主張や建前に満ちた「遺言」よりも、はるかに真実を伝えており、愛すべきものと考える。蘇東坡の上から目線は、かえって凡人としてのしっぽを掴まれてしまったのではないか。

もちろん、蘇東坡の「平生姦偽,死見真性」(裏切りと偽善にまみれた人生を送ってきた人間が、死を目前にして本性を現す)という言葉も正しい。ただ、その「本性」の理解が我々と蘇東坡とで異なり、評価も異なるということである。私が思うに、それは「人間性」だ。曹操は、殺人マシーンでも政治的シンボルでもなく、生身の人間であり、思想や感情を持った人間だった。日頃は政治闘争のために自分の内面を隠さなければならなかったのだとしたら(裏切りと偽善にまみれた人生)、死を前にし、もはや思い煩うこともなくなった(死を目前にして本性を現す)ということになる。「鳥之将死、其鳴也哀。人之将死、其言也善」(鳥のまさに死せんとするや其の鳴くこと哀し、人のまさに死せんとするや其の言や善し)という。死を前にした曹操の「善き言」には、彼の人生への愛と、愛する人への想いが表れている。

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