【中国の教科書で学ぶ中国史】第二単元 第7課 八カ国連合軍への抵抗 2:八カ国連合軍への抵抗【和訳付】 | 中文系.com

【中国の教科書で学ぶ中国史】第二単元 第7課 八カ国連合軍への抵抗 2:八カ国連合軍への抵抗【和訳付】

第7课 抗击八国联军 2

第7課 八カ国連合軍への抵抗 2

抗击八国联军

义和团运动的迅猛发展,引起了外国侵略者的密切关注。1900年5月底,英、俄等国调遣军队300余人,进驻北京使馆。6月,为镇压义和团运动,英、美、俄、日、法、德、意、奥八国组织联军2000多人,在英国海军司令西摩尔的率领下,从天津向北京进犯。义和团破坏沿线铁路,并在廊坊一带阻击敌人。八国联军死伤多人,被迫撤回天津。
与此同时,各国联合舰队攻占大沽炮台,扩大对中国的侵略战争。以保护使馆为名进驻东交民巷的外国军队也不断四处寻衅,射杀团民、清军。大沽炮台失陷的消息传到北京,再加上接到了关于列强要慈禧归政给光绪皇帝的谎言,气急败坏的慈禧太后遂对外宣战。
在北京,清政府利用义和团和清军对教堂和使馆区侵略者的义愤,鼓励他们围攻西什库教堂和东交民巷使馆区。对使馆区的围攻,使清政府在政治上处于极为被动的地位,成为列强扩大对中国侵略的借口。
天津的义和团在清军帮助下,与侵略者在老龙头火车站展开激烈的争夺战,并炮轰紫竹林租界。在天津保卫战中,清军直隶提督聂士成壮烈殉国。7月中旬,天津失陷。
8月14日 ,联军攻陷北京。慈禧太后携光绪帝狼狈西逃。在逃跑途中,慈禧下令剿杀义和团,并无耻地请求八国联军“助剿”。义和团在中外反动势力的镇压下失败。义和团运动虽然失败了,但它沉重打击了帝国主义“瓜分”中国的野心,使侵略者不得不承认中国“尚含有无限蓬勃生气”。
八国联军占领北京后,采取了报复性的屠杀、劫掠,充分暴露了侵略者的凶恶本质。

八カ国連合軍への抵抗

義和団運動(義和団の乱)の急激な発展は、外国侵略者の注目を集めた。1900年5月末、イギリスやロシアといった国は北京公使館に300人余りの軍隊を配備した。6月、義和団運動(義和団の乱)を鎮圧するため、イギリス、アメリカ、ロシア、日本、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの8カ国は2千人以上からなる連合軍を組織し、イギリス海軍司令官シーモア指揮の下、天津から北京に侵攻した。義和団は沿線の鉄道を破壊し、廊坊一帯で敵を阻止した。八カ国連合軍は多数の死傷者を出し、天津への撤退を余儀なくされた。
同時に、各国の連合艦隊は大沽砲台を奪取し、中国に対する侵略戦争を拡大させた。公使館保護を名目に東交民巷に進駐した外国軍隊は、至る所で言いがかりをつけては義和団構成員や清朝政府軍を射殺し続けた。大沽砲台陥落の情報が北京に届き、さらに列強が慈禧太后(西太后)に光緒帝への政権返還を求めているとのデマが流れ、逆上した慈禧太后(西太后)は外国に対し宣戦布告をしたのである。
北京において清朝政府は、教会と公使館地区の侵略者に対する義和団と清朝政府軍の義憤を利用し、西什庫教堂と東交民巷公使館地区を包囲攻撃するよう煽った。公使館地区への包囲攻撃は、清朝政府を極めて消極的な政治的立場に追いやり、列強が中国への侵略を拡大する口実となった。
清朝政府軍の支援の下、天津の義和団は老龍頭駅で侵略者と激戦を繰り広げ、紫竹林租界を砲撃した。 天津防衛戦の中で、清朝政府軍の直隷提督である聶 士成が壮絶な殉国を果たした。7月中旬、天津は陥落した。
8月14日、連合軍は北京を攻め落とした。慈禧太后(西太后)と光緒帝は狼狽し、西方へ逃がれた。 逃亡の途中、慈禧太后(西太后)は義和団の殺戮を命じた上、卑劣にも八カ国連合軍に鎮圧支援を要請したのである。義和団は、中国内外の反動勢力の鎮圧を受け、敗北した。義和団運動(義和団の乱)は失敗に終わったが、帝国主義による中国「分割」の野望に痛撃を与え、侵略者は中国が「なお無限の生命力を秘めている」ことを認めざるを得なくなったのである。
北京占領後、八カ国連合軍は報復的な虐殺と略奪とを行い、侵略者の凶悪な本性を発揮した。

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出典:
『中国歴史 八年級 上冊』
(中国の義務教育用歴史教科書 中学2年生向け)

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