【中国の教科書で学ぶ中国史】第二単元 第6課 戊戌の変法 1:康有為と公車上書【和訳付】 | 中文系.com

【中国の教科書で学ぶ中国史】第二単元 第6課 戊戌の変法 1:康有為と公車上書【和訳付】

第6课 戊戌变法 1

第6課 戊戌の変法 1

甲午中日战争的失败,使先进的中国人认识到,单凭引进外国器物已不足以挽救民族危亡。于是,谋求制度的变革被提到议事日程上来。戊戌变法就是制度变革的一次尝试。这次变法是怎么发动起来的?变革的内容有哪些?它的历史命运又是怎么样的呢?

甲午中日戦争(日清戦争)の敗戦の結果、外国のモノの導入だけでは、もはや国家の危機を救えないことを先進的な中国人は悟った。そうして制度改革の模索が議題に上がった。戊戌の変法は、制度改革の試みであった。この変法はどのようにして始まったのか? 変革の内容は何だったか?そしてその歴史的な運命はどのようなものであったか?

康有为与公车上书

1895年春,《马关条约》签订的消息传到北京后,群情激愤。正在京师参加会试的康有为、梁启超等,联合各省1300多名参加会试的举人,上书光绪帝,请求拒和、迁都、变法。这就是著名的“公车上书”。这次上书并没有上达光绪帝,却轰动京、沪,拉开了变法维新运动的序幕。
公车上书失败后,维新人士在各地组织学会,创办报刊,宣传变法,推动了维新变法思想的广泛传播。其中影响最大的报刊是上海的《时务报》和天津的《国闻报》。
梁启超在《时务报》上发表《变法通议》,强调“法者,天下之公器也;变者,天下之公理也”,“变亦变,不变亦变”,日本以变法而强大,中国如果不变法,将会因守旧而灭亡。这些文字议论新颖,通俗易懂,风靡海内。严复等主持的《国闻报》,以“通上下之情”“通中外之故”为目的,号召变法图强,成为北方最有影响的报纸。

康有為と公車上書

1895年春、「馬関条約(下関条約)」締結の知らせが北京に届くと、民衆は激怒した。都で科挙の会試を受けていた康有為と梁啓超らは、各省から集まった1,300人以上の挙人(会試受験生)とともに、光緒帝に宛てて講和拒否・遷都・変法を求める上書を提出した。これが有名な「公車上書」である。この上書は光緒帝には届かなかったが、北京や上海でセンセーションを巻き起こし、変法・維新運動の幕開けとなった。
「公車上書」の失敗後、改革派は各地で学会を組織し、新聞や雑誌を創刊して変法を説き、改革・変法思想の普及を推進した。その中で、最も影響力のあった刊行物が上海の『時務報』と天津の「国聞報」であった。
梁啓超は『時務報』に『変法通議』を発表し、こう強調した。「法は天下の公器、変革は天下の公理なり」、「変革しても変革となり、変革しなくとも変革となる」。日本は変法により強くなった。中国は法を変えなければ旧習を守るために滅ぶと。これらの文章による議論は斬新でわかりやすく、国内外から人気を集めた。厳複らが主宰する『国聞報』は、「上の者から下の者までその心情に通じる」「中国と外国の情勢に通じる」ことを目的とし、変法によって強国となることを訴え、北方で最も影響力のある新聞となった。

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出典:
『中国歴史 八年級 上冊』
(中国の義務教育用歴史教科書 中学2年生向け)

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