【中国の教科書で学ぶ中国史】第一単元 第3課 太平天国運動 1:洪秀全と金田蜂起【和訳付】 | 中文系.com

【中国の教科書で学ぶ中国史】第一単元 第3課 太平天国運動 1:洪秀全と金田蜂起【和訳付】

第3课 太平天国运动 1

第3課 太平天国運動 1

1851年爆发的太平天国运动,将农民起义推到了历史的最高峰。太平天国起义是怎样爆发的?它为什么能够迅速发展起来?太平天国颁布了哪些纲领性文件?这些纲领性文件有哪些内容?太平天国为什么在14年后又覆亡了呢?

1851年に勃発した太平天国運動は、農民による武装蜂起を歴史における最高峰へと推し高めた。太平天国の乱はどのようにして起こったのか? なぜ、迅速に拡大することができたのか?太平天国が発布した綱領的な性格をもつ文書は何か?これら文書はどのような内容だったか?太平天国はなぜ14年で崩壊したのか?

洪秀全与金田起义

鸦片战争的失败,进一步加深了清政府的统治危机。随着剥削的加重,统治阶级与劳动群众之间的矛盾日益尖锐。农民的反抗斗争不断在各地发生,大风暴即将来临。在科举的道路屡屡失败的洪秀全,于1843年创立“拜上帝会”,并和同学冯云山前往广西传教。他们在两年多的时间里,在山区贫苦农民中发展会众两千多人,其中包括杨秀清、萧朝贵、韦昌辉、石达开等骨干分子。
1851年1月11日,洪秀全在广西桂平县金田村发动武装起义,建号太平天国,起义军称“太平军”。
不久,洪秀全称“天王”。攻克永安后,洪秀全封杨秀清为东王,萧朝贵为西王,冯云山为南王,韦昌辉为北王,石达开为翼王,所封诸王均受东王节制。太平天国初步建立起政权组织。

洪秀全と金田蜂起

アヘン戦争の敗北は、清朝政府による統治をさらに脅かすこととなった。搾取が激化するにつれ、支配階級と労働者大衆の対立はますます激しくなっていった。農民の反抗闘争が各地で続き、風雲急を告げていた。科挙の失敗が続いていた洪秀全は、1843年に「拝上帝会」を設立すると、同級生の馮雲山とともに広西に渡り、布教活動を行った。彼らは山間部の貧しい農民から2年間で2千人以上の信徒を獲得した。そこには楊秀清、蕭朝貴、韋昌輝、石達開等の主要メンバーが含まれていた。
1851年1月11日、洪秀全は広西桂平県金田村で武装蜂起した。太平天国を設立し、その蜂起軍を「太平軍」と称した。
それから間もなく、洪秀全は「天王」を名乗るようになった。永安を攻略すると、洪秀全は楊秀清を東王、蕭朝貴を西王、馮雲山を南王、韋昌輝を北王、石達開を翼王に任命し、すべての王は東王の支配下に置かれた。太平天国は、こうして政治権力組織を構築し始めたのである。

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出典:
『中国歴史 八年級 上冊』
(中国の義務教育用歴史教科書 中学2年生向け)

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