【中国の教科書で学ぶ中国史】第一単元 第2課 アロー戦争(第2次アヘン戦争)2:円明園の焼き払いと「北京条約」の締結【和訳付】 | 中文系.com

【中国の教科書で学ぶ中国史】第一単元 第2課 アロー戦争(第2次アヘン戦争)2:円明園の焼き払いと「北京条約」の締結【和訳付】

第2课 第二次鸦片战争 2

第2課 アロー戦争(第2次アヘン戦争) 2

火烧圆明园与《北京条约》的签订

《天津条约》并没有使侵略者满足。1860年,英、法两国借口换约受阻,再次出兵占领天津,逼近北京。咸丰帝让他的弟弟奕䜣担任议和大臣,留守北京,自己逃往承德避暑山庄。10月初,英法联军对北京西北郊著名的皇家园林——圆明园进行了大肆抢劫,之后又放火烧毁。
随后,英法联军占领安定门,控制北京城,并扬言要直捣皇宫。奕䜣被迫与俄、英、法、美交换了《天津条约》批准书,并签订了中英、中法《北京条约》。在条约中,清政府除承认《天津条约》继续有效外,又增开天津为商埠,割九龙司地方一区给英国,赔款额也大幅增加。

円明園の焼き払いと「北京条約」の締結

「天津条約」は侵略者を満足させるものではなかった。1860年、批准書交換の妨げを口実に、イギリス・フランスは再び軍隊を派遣し天津を占領、北京に迫ったのである。咸豊帝は弟の愛新覚羅奕訢を和平交渉の大臣として北京に残し、自らは承徳避暑山荘へと逃げた。10月初旬、英仏連合軍は北京の北西郊外にある著名な皇室庭園──円明園をはばかりなく略奪した上、焼き払った。
その後、英仏連合軍は安定門を占拠して北京を制圧、さらに一挙に皇宮へ攻め入ると公言した。愛新覚羅奕訢はロシア・イギリス・フランス・アメリカと「天津条約」批准書を交換し、中英、中仏で「北京条約」を締結することを余儀なくされた。この条約では、清朝政府は「天津条約」の存続を認めたほか、天津を商業港として開放し、九龍巡検司の一地区をイギリスに割譲し、賠償額も大幅に増額した。

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出典:
『中国歴史 八年級 上冊』
(中国の義務教育用歴史教科書 中学2年生向け)

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