【中国の教科書で学ぶ中国史】第一単元 第1課 アヘン戦争 2:イギリスによる侵略戦争の発動 【和訳付】 | 中文系.com

【中国の教科書で学ぶ中国史】第一単元 第1課 アヘン戦争 2:イギリスによる侵略戦争の発動 【和訳付】

第1课 鸦片战争 2

第1課 アヘン戦争 2

英国发动侵略战争

中国禁烟的消息传到伦敦,英国政府公然支持罪恶的毒品走私,发动侵华战争。1840年6月,鸦片战争爆发。英军封锁珠江口后,北上攻陷浙江定海,随后直趋天津,威胁清朝政府。道光帝惊慌失措,以“办理不善”为名,将林则徐革职查办,琦善为钦差大臣,前往广东和英军谈判。

在双方谈判过程中,英军于1841年初强占香港岛。消息传到北京,道光帝下诏对英作战。英军进攻虎门炮台,广东水师提督关天培等战死。接着,英军又占领广州城北的四方炮台。

1841年秋,英军再次北上,先后攻占厦门、定海、宁波。1842年,英军进犯长江门户吴淞。年近七旬的老将江南提督陈化成率众抵抗,在身负重伤的情况下仍挥旗督战,力竭牺牲。英军溯江而上,攻占镇江。8月初,英军到达南京下关江面。清朝政府向侵略者屈服。

鸦片战争中,尽管广大人民和部分爱国官兵英勇抵抗,但是清朝大多数统治者昏庸愚昧,对内敌视人民,对外妥协投降,再加上经济落后,旧式的刀、矛、弓箭、抬枪等武器抵挡不住英军新式的步枪和大炮,战争终以清朝的失败结束。

 

イギリスによる侵略戦争の発動

中国によるアヘン禁令の情報がロンドンに届くと、イギリス政府は悪質な麻薬密輸を公然と支持し、中国に対する侵略戦争を発動した。こうして1840年6月、アヘン戦争が勃発した。イギリス軍は珠江河口を封鎖、北上して浙江省定海を陥落させ、そのまま天津まで進出して清朝政府を恫喝した。狼狽した道光帝は「処理が不適切」との名目で林則徐を罷免・追及し、代わりに琦善を欽差大臣として広東へ派遣、イギリス軍との交渉に当たらせた。

双方の交渉が進む中、1841年初頭、イギリス軍は香港島の占領を強行した。この情報が北京に伝わると、道光帝は勅令によりイギリスとの交戦を指示した。イギリス軍は虎門要塞を攻撃し、広東水軍提督であった関天培は戦死した。さらに、イギリス軍は広州市街北方にある四方要塞を占領した。

1841年秋、イギリス軍は再び北上、アモイ・定海・寧波を相次いで占領した。1842年、イギリス軍は長江の玄関口である呉淞に侵攻した。70歳近くの老将で江南提督の陳化成は、民衆を率いて抵抗し、重傷を負いながらなお力の限り戦闘を指揮し、戦死した。イギリス軍は長江を遡上し、鎮江を占領。8月上旬、イギリス軍は南京下関の水域まで到達した。こうして清朝政府は侵略者に屈したのである。

アヘン戦争では、広範な人民と一部の愛国的な将兵の勇敢な抵抗にもかかわらず、清朝の大部分の統治者は愚昧であり、対内的には人民を敵視し、対外的には妥協して投降した。さらに、経済は立ち遅れており、旧式の剣、槍、弓矢、銃といった武器では、最新式のライフルや大砲を持つイギリス軍を食い止めることもできなかった。戦争は清朝の失敗によって終結したのである。

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出典:
『中国歴史 八年級 上冊』
(中国の義務教育用歴史教科書 中学2年生向け)

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